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世界で活躍したダンサーの柳本雅寛さん。
フリーアナウンサーとしても活躍するタレントの青木さやかさんの元・旦那としても知られています。
海外のバレエ団で活躍した後、日本ではダンスユニットを結成。
青木さやかさんとは2007年に結婚し離婚。15歳になる娘さんがいます。
今回の記事を読むことで次の事が分かります。
・柳本雅寛wikiプロフィール
・柳本雅寛の経歴
・柳本雅寛の学歴
・青木さやかの家族Q&A
早速、確認していきましょう。
柳本雅寛wikiプロフィール

・芸名: 柳本雅寛
・本名: 柳本雅寛
・出身: 大阪府生まれ
・生年月日: 1976年生まれ
・年齢(2025年11月現在): 49歳
・身長: 不明
・血液型: 不明
・最終学歴: クラシックバレエを故・石川恵津子氏に師事
【過去の活動】
1998年にドイツへ渡り、ブラウンシュヴァイク、ミュンヘン、スカピーノ・バレエ・ロッテルダム、ガリリ・ダンスなど多くの舞踊団に所属し、主に西欧を中心に世界各地でダンサーとして活躍しました。2006年の帰国後には、大植真太郎さん、平原慎太郎さんと共に「C/ompany」を結成し、創作活動を開始しています
【最近の活動】
近年も国内外の著名な振付家の作品に出演しており、森山未來さん、平原慎太郎さん、辻本知彦さん、大植真太郎さん、笠井叡さんといった実力派ダンサーたちと共演するなど、多岐にわたる活動を続けています。また、コンテンポラリーダンスのクラスで指導を行うなど、後進の育成にも力を入れています。
柳本雅寛の学歴
柳本雅寛さんの学歴について調べてみました。
大学と、高校・中学・小学校と大きく二つに分けてみました
大学
柳本さんの学歴について確認しましたが、詳細は確認できませんでした。
柳本さんは1998年(22歳)で単身ドイツへわたり、ブラウンシュバイク(ドイツ)やミュンヘン(ドイツ)、スカピノ・バレエ・ロッテルダム(オランダ)、ガリリ・ダンス(イスラエル)などの舞踊団に所属。
このことから、日本では大学卒業後に海を渡ったと考えるのが妥当でしょう。
高校・中学・小学校
柳本さんの高校までの学歴を確認してみました。
残念ながら、ダンス経歴以外の情報は非公開。
大阪出身ということから、小・中・高と地元大阪の学校を過ごしたと考えられます。
柳本雅寛の経歴
【幼少期〜少年期のバレエ修業】
クラシックバレエを故・石川恵津子氏に師事。幼い頃から石川氏の下で基礎を徹底的に学びました。
当時から身体能力が高く、バレエダンサーとしては珍しいがっしりとした体格を持ちながらも、繊細な表現力を身につけていきます。
【高校生時代〜コンクール挑戦期】
詳細な学校名は公表されていませんが、高校生時代にはバレエダンサーとしての実力を磨き続けました。
1996年には神戸洋舞コンクールシニアの部で2位を獲得。後のヨーロッパ進出への大きな転機に。
当時20歳前後で、プロダンサーとしてのキャリアを本格的に目指し始めた重要な時期です。
【1998年〜ドイツ渡欧・プロデビュー】
1998年、ドイツへ渡欧し、ニーダーザクセン州立ブラウンシュバイグにソリストとして入団。
約22歳でのヨーロッパ挑戦となり、言葉も文化も異なる環境で、プロのコンテンポラリーダンサーとしてのキャリアをスタートさせます。
厳しいトレーニングと数多くの公演をこなし、ヨーロッパのダンス界で生き抜くための技術と精神力を培う。
この時期、様々な振付家との出会いが彼のダンススタイルに大きな影響を与えています。
【1998年〜2006年・ヨーロッパ各地での活躍期】
1998年から約8年間、ブラウンシュバイク、ミュンヘン、スカピノ・バレエ・ロッテルダム(オランダ)、ガリリ・ダンス(イスラエル)など、ヨーロッパの多くの舞踊団に所属。
ドイツ、オランダ、イスラエルと活動拠点を移しながら、各国の多彩な振付家たちとの作品創作に携わります。
ヨーロッパを中心に世界各地で公演を行い、国際的なダンサーとしての地位を確立。
コンテンポラリーダンスの本場で揉まれた経験が、独自のダンススタイルを形成する礎となりました。
【2006年・帰国〜新たな創作活動のスタート】
2006年に帰国後、大植真太郎、平原慎太郎らと「C/Ompany」を結成。
スウェーデンを中心に各国で公演を重ね、日本に拠点を置きながらも国際的な活動を継続します。
帰国したことで、ヨーロッパで培った経験を日本のダンス界に還元し始めた時期。
この頃から振付家としての活動も本格化し、ダンサーと振付家の二足のわらじを履くようになりました。
【2011年〜自身のユニット「+81」結成】
2011年、青木尚哉氏と自身のダンスユニット「+81(プラスエイティワン)」を結成。
『Lilly』『シャコタン・ブルー』『全力失踪』などを発表し、独創的な作品で注目を集めます。
その後もメンバーをランダムに入れ替えながら『トリプルボギー』『ブラックリスト』『段差@踊場』『Que Sera』などを創作。
自らの芸術的ビジョンを追求し、コンテンポラリーダンスの新しい表現を模索し続けています。
【2013年〜国際プロジェクト参加】
2013年、JAPON dance projectの立ち上げメンバーとして参加し、遠藤康行、小池ミモザ、青木尚哉、児玉北斗らとカンヌでの旗揚げ公演に出演。
日本を代表するダンサーとして、再び国際舞台での活動を展開。
この時期から教育者としての活動も本格化し、後進の育成にも力を注ぐようになりました。
【現在・教育者としての活動】
現在は洗足学園音楽大学のバレエコースでコンテンポラリーダンスの指導者として後進の育成にあたっています。
振付家、ダンサー、教育者として多方面で活躍を続けながら、日本のコンテンポラリーダンス界を牽引する存在として、若手ダンサーたちに自身の豊富な経験と技術を伝えています。
独自のコンタクトメソッドと演劇的身体表現で、コンテンポラリーダンスの先端を走り続けています。
柳本雅寛の家族構成

柳本さんの家族構成について調べてみました。
・父親:非公開
・母親:非公開
・本人:柳本雅寛さん
・元妻:青木さやかさん
・娘:15歳
柳本さんは、青木さんと離婚後、再婚はされていません。
兄弟もいないようです。
早速、確認していきましょう。
父親・母親
柳本さんのご両親について確認しました。
ご両親については、プライベートなことは非公開にしているようです。
但し、幼少期からバレエに通う環境を提供できることから
裕福な家庭だということが覗えます。
元・妻
柳本雅寛さんは、タレントの青木さやかさんと2007年に結婚。
二人は共通の知人の紹介(タレント・前田健さん)で出会い、意気投合して半年で結婚を決意。
2010年には一人娘が誕生しましたが、結婚生活は約5年で終わりを告げ、2012年に離婚しました。
離婚の理由には価値観の違いが挙げられていますが、青木さんは娘の親権を持ち、
柳本さんとの良好な関係を保つことを重視しています。
娘
柳本さんと青木さんとの間に生まれた娘さんについて調べてみました。
娘さんは2010年生まれの現在15歳(高校1年生)。
娘さんは柳本さんの家にも定期的に訪れるなど関係は良好とのこと。
青木さんとは離婚したものの、親子関係が一般の家庭と変わらないようです。
柳本雅寛Q&A

- 柳本さんのダンスのスタイルは何ですか?
-
柳本さんは主にクラシックバレエとコンテンポラリーダンスを専門としています。
- 柳本雅寛さんの学歴は?
-
柳本さんは、幼少期からダンスを学び、1998年にドイツに渡り、さまざまな舞踊団で活動しました。帰国後は、洗足学園音楽大学でダンスの指導者としても活動しています。
- 柳本さんの趣味は何ですか?
-
柳本さんは、ダンス以外にも音楽や読書に興味を持っています。特に、インストゥルメンタル音楽を好んで聴いているとされています。
- 柳本雅寛さんの今後の目標は?
-
柳本さんは、今後も新しい作品を創作し続け、次世代のダンサーを育成することを目指しています。また、国際的な舞台での活動を拡大する意欲も持っています。
- 柳本さんの代表的な作品は何ですか?
-
柳本さんの代表的な作品には、国立劇場での「Move/Still」や「夏ノ夜ノ夢」などがあります。これらの作品は、彼の独自の振付スタイルと表現力を示しています。
今回は柳本雅寛さんのwikiプロフィールについて調べてみました。
新しい情報が確認でき次第、追記します。
→ 両親(父親・母親)、旦那、子供はいる?

