当サイトのリンクには広告が含まれています。
女子アイスホッケー日本代表として活躍する輪島夢叶さん。
2026年ミラノ・コルティナ五輪の代表に選出され、今注目を集めている若手選手です。
「輪島夢叶さんのプロフィールや経歴が知りたい」
「どこの高校・大学出身なの?」
「彼氏や家族構成は?」
「SNSはやってるの?」
そんな疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
この記事では、輪島夢叶さんの基本プロフィールから詳しい経歴、学歴、家族構成、プライベート情報、SNSアカウントまで、wikiのようにまとめてご紹介します。
北海道苫小牧市出身で6歳からアイスホッケーを始め、北京五輪の挫折を乗り越えて代表に返り咲いた彼女のストーリーは必見。
気になる身長や血液型などの基本データから、最新の活躍情報まで詳しく解説していきますので、ぜひ最後までご覧ください!
壮絶な過去から現在の幸せな家庭生活まで、芝田さんの魅力を余すことなくお伝えします。
今回の記事を読むことで次のことがわかります。
・輪島夢叶wikiプロフィール
・輪島夢叶の経歴、学歴
・輪島夢叶の彼氏は?家族構成は?
・輪島夢叶のSNS
・輪島夢叶Q&A
早速、確認していきましょう!
輪島夢叶wikiプロフィール
・本名:輪島夢叶(わじま・ゆめか)
・出身:北海道苫小牧市
・生年月日:2002年10月19日
・年齢:23歳(2026年2月現在)
・身長:156cm
・血液型:A型
・最終学歴:駒澤大学附属苫小牧高等学校卒業
【過去の活動】
輪島さんは、6歳からアイスホッケーを始め、母と兄の影響を受けて競技に取り組んできました。
ポジションはフォワードで、攻撃の要となる役割を果たしています。
2025年2月に行われたオリンピック最終予選では、3試合で5得点を挙げ、得点王に輝く活躍。
この結果を受け、「スマイルジャパン」として2026年ミラノ・コルティナオリンピックに出場することが決まりました。
【最近の活動】
最近の活動としては、オリンピックに向けた準備が進められており、輪島さんは「オリンピックでメダルを獲る」という強い目標を掲げています。
過去には、北京オリンピック出場を怪我で逃した経験があり、その悔しさをバネにして成長。
輪島さんは、圧倒的なスピードを武器に、チームメイトとの連携を大切にしながら、さらなる飛躍を目指しています。
輪島夢叶の経歴

幼少期からアイスホッケー選手になるまでの経歴とエピソード
輪島夢叶さんがアイスホッケーと出会ったのは6歳のとき。母と兄がプレーしていた影響で、気づいたら氷の上に立っていたといいます。
アイスホッケーの街として知られる北海道苫小牧市で育った輪島さんにとって、氷上は特別な場所ではなく日常の延長線上にあった。冬になると小学校のグラウンドにはリンクが作られ、スケートは授業の一部。そんな環境で自然とホッケー靴を手にした彼女を惹きつけたのは、加速して氷を切り裂く爽快なスピード感でした。
「滑れるようになって、スピードが出てきた時の感じが好きだった」と語る輪島さん。幼い頃から抱いていたのは、「オリンピックに出場したい」という夢よりも、地元の先輩たちが活躍する「スマイルジャパンに入りたい」という具体的な憧れ。目の前で見る先輩たちの姿が、彼女の原動力となっていきます。
アイスホッケー選手を目指した理由とその苦労
中学生になると、年上の選手たちと同じ氷に立つ機会が増え、そこで大きな壁にぶつかることに。身長156cmと小柄な輪島さんは、フィジカル面で圧倒的に不利だった。当たり合いでは勝てず、抑えられると何もできない。「こんなに違うんだ」という現実を痛感します。
しかし、そこで彼女が選んだのは諦めることではなく、工夫することでした。「抑えられると負けてしまうタイプなので、どうやって逃げたら捕まらないかをすごく考えていました」。力ではなく思考で勝負する——この決意が、後に”技あり”と評されるプレースタイルの土台となっていった。
中学2年生の時、輪島さんは最年少でU-18日本代表に選出されます。スピードが買われての抜擢でしたが、試合に出ても何もさせてもらえず、パックにもさわれない。走っても抑えられてしまう日々。それでも彼女は、相手の当たりをかわし、スペースを見つけ、味方を生かすプレーを磨き続けました。
アイスホッケー選手としてのキャリア
中学時代を苫小牧市立青翔中学校で過ごした輪島さんは、駒澤大学附属苫小牧高等学校に進学。同校の女子アイスホッケー部第1期生として、新たな歴史を刻みます。緻密なチャンスメイクを武器とするプレーメーカーとして存在感を高め、相手スティックのわずかな隙間を通す正確なパス、パックを少し浮かせて妨害を越えるフリップパスなど、技術を磨いていった。
高校卒業後は大学進学の道を選ばず、競技に専念する決断をします。地元企業の道路建設ペリグリンに所属し、プロとしての道を歩み始めました。
しかし、北京オリンピックを目前に控えた2021年、輪島さんは大きな試練に直面します。右手首の手術を決断したのです。「手術は大きな決断でしたね。手術してメンタルが落ち込んでいましたし、アイスホッケーができないもどかしさもありました」。
復帰への道のりは想定以上に厳しく、2021年夏の合宿には参加できず、代表合宿に戻れたのはメンバー決定直前の一度きり。結果は落選。「手術しなきゃよかったのかな、みたいな。涙もありました」と当時を振り返ります。
それでも輪島さんは諦めなかった。北京五輪後の4年間、「生活の8割がホッケー」と言い切る日々を送ります。遊びを犠牲にし、苦手だったウエイトトレーニングにも本格的に向き合い、スクワットで80〜90kgを上げるほどの下半身を作り上げた。フィジカル面でも大きく成長を遂げます。
さらに大きな転機となったのが、プレースタイルの変化です。「パスが好きで、自分でシュートを打たなかった」という自他共に認める「パスの出し手」だった輪島さんが、「点取り屋」へと変貌を遂げたのです。
その集大成が、2025年2月、地元・苫小牧で開催されたミラノ・コルティナ五輪最終予選でした。輪島さんは3試合で5得点という爆発的な活躍を見せ、チームを五輪出場へと導きます。「本当に去年の予選からなので、一年で本当に人生変わったなって感じですね」。
元々得点を多く決めるタイプではなく、代表に選ばれても出番が少なかった選手が、チーム最多得点でヒロインに。その活躍はSNS上でも話題となり、「可愛い」「これは人気出るなあ」「爆発力すごい。スター街道来るか」と新スターの誕生を歓迎する声が相次ぎました。
2025年12月、輪島さんはミラノ・コルティナ五輪代表メンバーに選出されます。「ずっと夢にみていたオリンピックの舞台ですし、選出されてほっとしている」。長年の夢が、ついに現実のものとなった瞬間でした。
そして2025年、ハルビン冬季アジア大会では金メダルを獲得。日本代表の中核選手として、確固たる地位を築いています。
「オリンピックでメダルを獲る。メダル獲得に貢献できればと思っています」——挫折を乗り越え、自らを変革し続けてきた輪島夢叶さん。その目には、強い決意が宿っています。
輪島夢叶の学歴

輪島夢叶さんの学歴についてまとめてみました。
順に確認していきます。
大学

輪島さんは高校卒業後、大学に進学せず、アイスホッケー競技に専念する道を選択しました。
2021年3月に駒澤大学附属苫小牧高等学校を卒業後、地元企業の道路建設ペリグリンに所属。
プロアスリートとしてのキャリアをスタートさせています。
この決断の背景には、「生活の8割がホッケー」と語るほどの競技への強い情熱があり、北京五輪代表落選の悔しさをバネに、2026年のミラノ・コルティナ五輪を見据えた覚悟がありました。
大学進学よりも、日本代表という目標に向けて一直線に進む道を選んだことが、現在の活躍につながっています。
高校

輪島さんが卒業した高校は【駒澤大学附属苫小牧高等学校】です。
入学:2018年4月 → 卒業:2021年3月
【駒澤大学附属苫小牧高等学校】
偏差値:42.0〜64.0(コースにより異なる。特別進学コース64、総合進学コース42)
住所:〒053-8541 北海道苫小牧市美園町1-9-3
特徴:仏教系(曹洞宗)の学校法人駒澤大学が運営する私立高校で、1964年設立。特別進学コースと総合進学コースに分かれており、総合進学コースにはアイスホッケーなどの専門体育を選択できる体育系があります。部活動が非常に盛んで、野球部は夏の甲子園2連覇、アイスホッケー部は全国屈指の強豪として知られています。特にアイスホッケー部は1994年から2002年までインターハイ9連覇という驚異的な記録を持ち、現在も全国トップレベルの実力を誇ります。
輪島さんは駒大苫小牧高校の女子アイスホッケー部第1期生として、新たな歴史を刻む重要な役割を担いました。
小柄な体格をカバーするため、緻密なチャンスメイクを武器とするプレイメーカーとして存在感を高めていきました。
相手スティックのわずかな隙間を通す正確なパス、パックを少し浮かせて妨害を越えるフリップパスなど、独自の技術を磨き上げていったのがこの時期です。
チームメイトや指導者との日々の練習を通じて、後に日本代表として活躍する基礎を築きました。
田中将大さん:プロ野球選手、元ニューヨーク・ヤンキース
橋本聖子さん:元スピードスケート選手、アルベールビルオリンピック銅メダリスト、元参議院議員、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長
山本宏美さん:スピードスケート選手、リレハンメルオリンピック銅メダリスト
田畑真紀さん:スピードスケート選手、バンクーバーオリンピック女子団体追い抜き銀メダリスト
穂積雅子さん:スピードスケート選手、バンクーバーオリンピック女子団体追い抜き銀メダリスト
中学校

輪島さんが卒業した大学は【苫小牧市立青翔中学校】です。
入学:2015年4月 → 卒業:2018年3月
【苫小牧市立青翔中学校】
偏差値:-
住所:〒059-1303 北海道苫小牧市拓勇東町6丁目15番1号
特徴:2009年(平成21年)4月に沼ノ端地区の生徒数増加に伴って新設された比較的新しい公立中学校。苫小牧市内の公立中学校の中で最も新しく、また最も多い生徒数を誇る学校となっています。綺麗な校舎は生徒たちの創造性を刺激する造りで、広い中庭やメディアセンターが設置されており、大きなガラスを多用した開放的で明るい雰囲気が特徴。校名の「青」は若者のはつらつとしたイメージ、「翔」は未来へと羽ばたいていくイメージを表現しています。
輪島さんは中学2年生の時、最年少でU-18日本代表に選出される快挙を成し遂げました。
スピードが買われての抜擢でしたが、国際舞台では苦労の連続。
試合に出ても何もさせてもらえず、パックにもさわれない。走っても抑えられてしまう厳しい現実に直面します。
しかし輪島さんは諦めることなく、「抑えられると負けてしまうタイプなので、どうやって逃げたら捕まらないかをすごく考えていました」と振り返るように、力ではなく思考で勝負する戦略を磨き続けました。
この経験が、後の”技あり”と評されるプレースタイルの基盤となっていきます。
開心那さん:スケートボーダー、東京オリンピック・パリオリンピック銀メダリスト
小学校

輪島さんは北海道苫小牧市の小学校に通っていました。アイスホッケーの街として知られる苫小牧市では、冬になると小学校のグラウンドにリンクが作られ、スケートは授業の一部となっています。そんな環境で育った輪島さんにとって、氷上は特別な場所ではなく日常の延長線上にありました。母と兄がアイスホッケーをプレーしていた影響で、小学1年生(6歳)の時には「気づいたら氷の上にいました」と語るように、自然とアイスホッケーと出会います。
小学生時代の輪島さんを惹きつけたのは、加速して氷を切り裂く爽快なスピード感でした。「滑れるようになって、スピードが出てきた時の感じが好きだった」と振り返ります。ただし、当時所属していたのは公式戦であまり勝つことのできないチームで、小さい体躯で思うようにプレーができない悔しさも経験しました。それでも「オリンピックに出場したい」という漠然とした夢よりも、地元の先輩たちが活躍する「スマイルジャパンに入りたい」という具体的な憧れを抱き続けました。目の前で見る先輩たちの姿が、幼い輪島さんの原動力となっていたのです。
輪島夢叶に彼氏はいる?

現在、輪島夢叶さんが公に交際を発表している情報はありません。
複数の情報源を確認しましたが、彼氏や結婚に関する情報は明らかになっておらず、本人からの公式な発表も見当たりませんでした。23歳という若さでスマイルジャパンの主力選手として活躍する輪島さんは、競技生活に専念している様子がうかがえます。
輪島さんのInstagramアカウントを調べましたが、恋愛関係を「匂わせ」るような投稿は確認できませんでした。
しかし、輪島さんのSNSにはこのような投稿は見られず、主にアイスホッケーの試合や練習、チームメイトとの写真など、競技に関連する内容が中心のようです。
輪島さんは「生活の8割がホッケー」と語るほど競技に専念しており、2026年ミラノ・コルティナ五輪でのメダル獲得という目標に向けて日々トレーニングに励んでいます。プライベートよりも、日本代表としての活動に全力を注いでいる様子がうかがえます。
輪島夢叶の家族構成

輪島さんの家族構成についてまとめてみました。
父親:非公開
母親:非公開
兄:非公開
本人:輪島夢叶さん
順にご紹介します。
父
推定50代(2026年2月現在)
サッカーをしていた方です。輪島さんが6歳でアイスホッケーを始める際、「サッカーとホッケーのどっちにする?」と選択肢を与えました。スポーツを愛する家庭環境を作り、子どもたちの競技活動を温かく見守ってきた存在と考えられます。
輪島さんが6歳の時、お兄さんのアイスホッケーの試合を見に行ったことがきっかけで、輪島さんはアイスホッケーを選択しました。父親はサッカーをしていましたが、娘がホッケーを選んだことを尊重し、その後の競技生活を支えてきたと思われます。家族でスポーツを楽しむ文化が根付いた家庭で、父親もその土台を作った一人でしょう。
母
推定50代(2026年2月現在)
アイスホッケーの経験者で、ポジションは輪島さんと同じフォワードです。輪島さんがアイスホッケーを始めるきっかけを作った重要な存在であり、自身のプレー経験から娘に技術的なアドバイスやサポートを提供してきたと考えられます。母と兄がアイスホッケーをしていたことが、輪島さんの競技人生を決定づけました。
輪島さんは母親の影響で6歳からアイスホッケーを始め、母と同じフォワードのポジションを選びました。「母と兄がアイスホッケーをプレーしていたことから、小学1年生の時には気づいたら氷の上にいました」と輪島さんが語るように、自然な流れでアイスホッケーの世界に導かれたのは母親の存在があってこそ。母親は先輩プレーヤーとして、また親として、輪島さんの成長を見守り続けてきました。
兄
推定30歳前後(2026年2月現在)
アイスホッケーの経験者で、ポジションは輪島さんと同じフォワード。輪島さんより5歳年上で、妹がアイスホッケーを始めるきっかけを作った重要な人物です。輪島さんに対して率直に意見を言う関係性があり、「よく辞めなかったね」と言うなど、妹の努力を近くで見てきた存在。厳しくも愛情深い兄として、輪島さんの競技人生を支えてきたと考えられます。
輪島さんが6歳の時、兄のアイスホッケーの試合を見に行ったことがきっかけで、輪島さんはアイスホッケーを選びました。兄は輪島さんの憧れの存在であり、同時に厳しい目で妹を見守る存在でもありました。
特に印象的なのは、兄から「よく辞めなかったね」と言われ続けてきたというエピソード。小学生時代、輪島さんは試合に出ても思うようにプレーできず、あまり勝つこともできないチームに所属していました。小柄な体格でフィジカル面でも苦労し、地元苫小牧の選抜に選ばれてもベンチを温めることが多かった時期。そんな苦しい時代を近くで見ていた兄だからこそ、「よく諦めずに続けたね」という意味を込めて声をかけているのでしょう。
現在でも兄からその言葉をかけられるということは、兄が妹の努力と成長を認め、誇りに思っている証拠です。厳しい言葉の裏には、妹への深い愛情と尊敬の念が込められています。
輪島家は「スポーツ一家」として知られています。母と兄がアイスホッケー、父がサッカーという環境で育った輪島さんにとって、スポーツは日常の一部でした。
6歳の時に「サッカーとホッケーのどっちにする?」と選択を迫られた輪島さんは、兄のアイスホッケーの試合を見に行き、そのダイナミックなプレーに魅了されてアイスホッケーを選択。以来、家族の理解とサポートのもと、「生活の8割がホッケー」と語るほど競技に打ち込んできました。
北京五輪の代表選考から漏れた時期、右手首の手術で苦しんだ時期、リハビリに励んだ4年間——その すべてを家族は見守り、支え続けてきました。「家族みたいな存在」と語る仲間たちからの応援とともに、実際の家族からの変わらぬサポートが、輪島さんをミラノ・コルティナ五輪の舞台へと導いたのです。
家族への感謝の気持ちを胸に、輪島さんは「地元愛も強いほう。メダルを取って恩返しできれば」と語ります。家族、そして地元苫小牧への恩返し——それが輪島さんの大きなモチベーションとなっています。
輪島夢叶のSNS

輪島さんのSNSについてまとめてみました。
順に確認していきます。
2026年2月現在、輪島さんはinstagram以外は利用していません。
instagramのアカウントは【@yumeka16._】
フォロワー数:約3000人
輪島さんのSNSは、競技中心の発信スタイルが特徴です。
アスリートとして、アイスホッケーに関連する内容を中心に投稿していると考えられます。
輪島さんは「生活の8割がホッケー」と語るほど競技に専念しており、SNSもその姿勢を反映した内容になっています。
プライベートな投稿よりも、アスリートとしての活動を記録・共有。
現在のアカウントは、2021年11月から利用しています。
元々得点を多く決めるタイプではなく、代表に選ばれても出番が少なかった選手が、チーム最多得点でヒロインになったことで、SNSでも新たなスターの誕生として注目。
「可愛い」「美人」という外見への評価に加え、プレーの技術や努力の姿勢も高く評価されています。
輪島夢叶のQ&A

- 輪島夢叶さんは大学に進学しましたか?
-
いいえ、輪島さんは大学には進学していません。高校卒業後、アイスホッケー競技に専念する道を選択しました。地元企業の道路建設ペリグリンに所属し、プロアスリートとしてのキャリアをスタートさせています。この決断の背景には、「生活の8割がホッケー」と語るほどの競技への強い情熱と、北京五輪代表落選の悔しさをバネに4年後のミラノ・コルティナ五輪を見据えた覚悟がありました。大学進学よりも日本代表という目標に一直線に進む道を選んだことが、現在の活躍につながっています。
- 駒大苫小牧高校の女子アイスホッケー部第1期生というのは本当ですか?
-
はい、本当です。輪島さんは駒大苫小牧高校女子アイスホッケー部の第1期生として、チームの歴史を作る重要な役割を担いました。男子は全国屈指の強豪として知られていましたが、女子部は輪島さんたちの世代からスタートしたばかり。ゼロからチームを作り上げていく過程で、小柄な体格をカバーするため緻密なチャンスメイクを武器とするプレーメーカーとして存在感を高めていきました。相手スティックのわずかな隙間を通す正確なパス、パックを少し浮かせて妨害を越えるフリップパスなど、独自の技術を磨き上げたのがこの時期です。新しいチームで切磋琢磨した経験が、今の輪島さんの土台となっています。
- 輪島夢叶さんは学業とアイスホッケーをどう両立していたのですか?
-
輪島さんは「生活の8割がホッケー」と語るほど競技に打ち込んでいましたが、同時に学業もおろそかにしませんでした。高校卒業後に大学進学ではなく競技専念を選んだことからも、早い段階から明確な目標を持ち、そこに向けて人生設計をしていたことがわかります。中学時代にU-18日本代表に選ばれ、高校では女子アイスホッケー部第1期生としてチームを作り上げながらも、しっかりと学業を修め卒業したことは、彼女の真面目さと計画性を物語っています。限られた時間の中で優先順位をつけ、効率よく学業とスポーツを両立させる能力は、アスリートとして成功するための重要な要素でもあります。
- 高校時代に輪島夢叶さんが特に力を入れて磨いた技術は何ですか?
-
輪島さんは高校時代、身長156cmという小柄な体格をカバーするため、技術面で圧倒的な武器を磨きました。特に力を入れたのが「緻密なチャンスメイク」です。相手スティックのわずかな隙間を通す正確なパス、パックを少し浮かせて妨害を越えるフリップパスなど、フィジカル面で不利な分、思考と技術で勝負するプレースタイルを確立しました。「抑えられると負けてしまうタイプなので、どうやって逃げたら捕まらないかをすごく考えていました」という言葉からも、単純な練習量だけでなく、戦略的思考を磨いていたことがわかります。この時期に培った”技あり”のプレーが、後に日本代表での活躍につながっていきます。
- 学生時代の輪島夢叶さんの夢や目標は何でしたか?
-
輪島さんの夢は一貫して「スマイルジャパン(女子アイスホッケー日本代表)に入ること」でした。興味深いのは、幼い頃から「オリンピックに出場したい」という漠然とした大きな夢よりも、地元の先輩たちが活躍する「スマイルジャパンに入りたい」という具体的な憧れを抱いていたことです。目の前で見る先輩たちの姿が、彼女の原動力となっていました。小学生時代は思うようにプレーできず、中学時代は最年少でU-18代表に選ばれても試合で何もさせてもらえない悔しさを味わい、高校時代は女子部第1期生として技術を磨き続けました。そして現在、その夢を叶えただけでなく、「オリンピックでメダルを獲る」という新たな目標に向かって突き進んでいます。学生時代から描き続けた夢が、一つひとつ現実になっている姿は、多くの人に勇気を与えています。
これからの輪島夢叶さんの活躍に期待したいですね。
新しい情報が確認でき次第、追記します。