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明るいキャラクターで、見ているみんなを楽しませるダンスを提供してくれる真島茂樹さん。
マツケンサンバは真島茂樹さんの代表作ですね!
実は、真島茂樹さんがあの東京ディズニーランドで踊っていたことを知る人は多くありません。
今回は、真島茂樹さんが東京ディズニーランドにいたことや、その後の活躍ついて調査しました。
真島茂樹は2年間東京ディズニーランドに!その後舞台から振付師に!
真島茂樹のプロフィール
名前 | 真島 茂樹(まじま しげき) |
愛称 | マジ− |
生年月日 | 1947年3月22日 |
年齢 | 77歳 |
職業 | ダンサー、振付師、歌手 |
出身地 | 栃木県宇都宮市 |
学歴 | 私立東京商業高等学校 卒業 |
身長 | 180cm |
体重 | 70kg |
家族 | 独身 |
所属 | 三喜プロモーション |
代表作 | マツケンサンバ2 |
その他 | 松平健さんとは、日劇時代(1972〜1981)からの旧知の間柄。 マツケンサンバも松平健さんが真島茂樹さんに直接依頼をしたそうです。 |
真島茂樹さんは、マツケンサンバ以外にも映画「プリキュア」やCM「あんさんぶるスターズ!!」の振り付けも担当されていました。
真島茂樹は2年間東京ディズニーランドに!
真島茂樹さんは、ダンサーであり振付師としても大活躍ですが、実は2年間「東京ディズニーランド」でも踊っていた経験あります。
どのような経緯だったのでしょうか。
なんとなく、やばいというのはわかるんですよ。
舞台(日劇)から見て、ああ3階席は空いてる、あれ、今日は2階席も後ろの方も空いてきたというふうに。
で、日劇のクローズが決まった時に、東京ディズニーランドがオープンしたんです。
『フープ・ディードゥ・ショー』というディナーショーに出ることになりました。
僕は英語の歌もレッスンしていたので、オーディションにもすぐ受かりました
https://frag-lab.com/special_interview/187_03.html
やはり、大きなチャンスを掴むにはそれなりの準備が必要なんですね!
真島茂樹は舞台から振付師に!
真島茂樹さんはミュージカルの舞台から、振付師へと仕事のステージも変わっていきます。
真島茂樹はミュージカルの舞台へ
真島茂樹さんは2年間の東京ディズニーランドの契約が終了し、ミュージカルの世界に舞台を移します。
東京ディズニーランドが2年契約。その後、東宝ミュージカルが始まったんです。
ブロードウェイミュージカルを日本にもってくるわけです。
オーディションはブロードウェイのプロデューサーが来るんですが、ありがたいことに僕、受かってしまうんですよね
https://frag-lab.com/special_interview/187_03.html
ダンスやミュージカルの世界で成功される方は、「昼はダンス・夜はバイト」など下積みの時間が長いイメージですが
真島茂樹さんは、学生時代にしっかりと英語の準備をしていたこともあってトントン拍子に話が進んでいったんですね。
その後、東宝ミュージカルで次々とミュージカル大作へ出演されます。
・「シカゴ」
・「キャバレー」
・「マイフェアレディ」
・「屋根の上のバイオリン弾き」など
東宝ミュージカルではかかすことのできない存在になっていきました。
真島茂樹は振付師の仕事もこなすように
ダンサーの経験を活かし、真島茂樹さんはさらなるステップアップをします。
旧知の間柄である松平健さんから「マツケンサンバ」の振り付けをたのまれます。
真島茂樹さんはその場で音源を聞き、引き受けたそうです。
宮川彬良先生の曲が素晴らしいでしょう。一番大事なのは音。音に触発されて体が動くのね。
振りはほぼ1日でできてしまいましたよ。
腰元ダンサーズが手にもつ”あや棒”も、普通は紅白と金色で、両橋に鈴と房がついているんですが、
もっとチアガールみたいにキラキラの房をいっぱいつけて”サンバ棒”にしましょうとか
https://frag-lab.com/special_interview/187_01.html
依頼を受けた4日後には、築地の稽古場で練習が始まっていたそうです。
真島茂樹さんは、「楽しそうに、嬉しそうにダンス」を踊っている印象が強いですね。
見ているこちらも知らず知らずに元気をもらっている感じがします。
最後までお読みいただきありがとうございました。