田原総一朗が若い頃にクビになった理由!2つの会社で解雇に!

hikohikoblog659

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フリージャーナリストの田原総一郎さんに注目が集まっています。

理由は、あるTV番組内での発言でした。

田原総一朗さんは若い頃に2度クビになったことがあります。

今回の記事を読むことで次のことが分かります。

田原総一郎wikiプロフィール
田原総一郎が若い頃に2度クビになった会社とその理由
田原総一郎の若い頃Q&A

早速、確認していきましょう。

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目次

田原総一郎wikiプロフィール

Xより

・本名:田原総一朗
・出身:滋賀県彦根市
・生年月日:1934年4月15日
・年齢:91歳(2025年10月現在)
・身長:166cm
・血液型:B型
・最終学歴:早稲田大学第一文学部史学科

【過去の活動】

早稲田大学卒業後、岩波映画製作所や東京12チャンネル(後のテレビ東京)を経て、1977年フリーに。

1987年からテレビ朝日系「朝まで生テレビ!」の司会を務める。

1989年からは「サンデープロジェクト」の司会も担当し、テレビジャーナリズムに新しい地平を切り開いています。

【最近の活動】

2023年1月にはYouTube「田原総一朗チャンネル」を開設するなど、91歳の現在も精力的に活動中。

2020年からは早稲田大学近くの喫茶店「ぷらんたん」で「田原カフェ」を開催し、2025年9月には40回目を迎えています。

日経ビジネスなどへの寄稿も続けており、時代の最前線で評論活動を展開。

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田原総一朗が若い頃クビになった理由!

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田原さんが若い頃クビになった会社とその理由について調べてみました。

2つの会社で解雇に!

田原さんは、若い頃に「クビになった会社」が2つあります。

それぞれまとめてました。

岩波映画製作所のクビ

岩波映画製作所に入社した26歳のとき、田原さんは撮影助手として勤務。

しかし、当初からミスの連続で、フィルムを装填し損ねたり、高価なカメラを落としそうになる失敗が続き、

入社からわずか50日足らずで「撮影助手を落とされる(クビ)」形になりました。

今の田原さんからは想像も出来ません。

やはり、誰でも若い頃のミスはあるものですね。

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「未知への挑戦」降板の理由

その後、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で働くことになった田原さん。

ドキュメンタリー番組『未知への挑戦』シリーズが高評価を得て賞を受賞。

しかし、こちらでも42歳の時にクビになります。

理由は、

1976年に原子力船むつ問題を扱った映画「原子力戦争」を制作・公開したこと。

この映画の内容が国会でも話題となり、大手広告会社の逆鱗に触れたため、田原さんは東京12チャンネルを辞職することになったといわれています。

因みに、田原さん自身は

「国内初の原子力船『むつ』の放射能漏れの事故をきっかけに、『展望』(筑摩書房)で原発に関する連載を開始。その連載の中で語ったことを機にクビになった」と主張。

この連続したクビと孤独の経験が、後の田原さんの「権力や組織と闘う気骨ある報道姿勢」を形づくる原体験となっている可能性が高いと考えられます。

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田原総一郎の若い頃Q&A

q&a
田原総一朗さんは最初から作家志望だったのですか?

田原さんは作家を目指していました。しかし早稲田在学中に石原慎太郎の『太陽の季節』、大江健三郎の『飼育』を読み、「かなわない」と衝撃を受け挫折しました。先輩に「文才がある人間が頑張るのが努力であり、文才のない人間がただ頑張るのは徒労だ」と言われ、その言葉は今でも強烈に覚えていると語っています。

大学卒業までどのくらいかかりましたか?

田原さんは早稲田大学文学部を7年かけて卒業。早稲田大学第2文学部(夜間学部)に入学し、昼間は「交通公社」で働きながら、出版社が主催する文学賞受賞を目指し、せっせと小説を書いていました。

東京12チャンネル時代はどんな番組を作っていたのですか?

ディレクターとして『ドキュメンタリー青春』や『ドキュメンタリーナウ!』などの番組を手がけました。

田原さんは「過激な題材」を元に「やらせ的な演出をして、その結果としておきる、スタッフ、出演者、関係者に生じる葛藤までを、全て撮影する」手法をとり、話題を呼びました。

「他局がオンエアできないような番組を作ろうと思った」と語っています。

ジャーナリストを目指したきっかけは?

作家を断念した後、新たに浮かんだのは想像力と文才がなくても目指せるジャーナリストでした。戦争が終わった後豹変した大人たちへの社会への不信が田原さんをジャーナリズムに駆り立てたことは間違いありません。

ジャーナリストとして大切にしている信念は?

田原さんは早稲田大学マスコミ研究会のインタビューで「商業誌が怖くて言えないことにちゃんと踏み込む。『タブーに切り込む』ことが大事だと思う」と答えています。しがらみがなくエネルギーあふれる若い世代だからこそ恐れずに切り込んでほしい、社会に挑戦してほしいというのが田原さんの考えです。

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若い頃の2つのクビが、田原総一朗さんのジャーナリストとしてのきっかけになったんですね。

新しい情報が確認でき次第、情報を追記します。

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