青山繁晴の経歴は?政治家になる前と後、エピソードをまとめて紹介!

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青山繁晴さんは、政治家になる前は新聞記者として活躍。退社後は民間の危機管理対策のスペシャリストとして活躍されています。

今回は、青山繁晴さんが政治家になる前と、政治家になった後の経歴を調査。それぞれのエピソードもまとめてみました。

青山繁晴さんの経歴まとめ

1969年3月(16歳)淳心学院中学校 卒業
1971年3月(18歳)淳心学院高等学校 卒業
1979年3月(26歳)早稲田大学成二経済学部 卒業
1979年4月(26歳)  ・共同通信社 入社。徳島支局へ赴任。事件記者担当。
1979年5月(26歳)・千春氏と結婚。
1983年6月(32歳)・京都支局へ異動。京都府警キャップ→宗教記者→京都府政担当。
1984年4月(33歳)・大阪支社経済部へ異動。証券・金融・財務・繊維業界を担当。
1987年4月(36歳)・東京本社政治部へ異動。首相官邸記者クラブを担当。
・第3次中曽根内閣の最後1年間、竹下内閣の組閣後6ヶ月、両内閣総理大臣総理番を担当。
・自民党、民社党、社民連、法務省、労働省・連合、検察庁、防衛庁を担当。
・天皇班も担当。昭和天皇崩御の際の新元号取材にも携わる。
1995年12月(44歳)・外務省サブキャップを担当。
・ペルー日本大使公邸占拠事件発生直後、約6ヶ月ペルーに滞在。事件の一部始終を取材。
1996年12月(45歳)・共同通信 ペルー特派員を担当。
・このペルーでの一連の経験から退職を決意したと言われる。
1997年12月(46歳)・共同通信社 依願退職。
1998年1月(46歳)・株式会社三菱総合研究所 入社。
2000年4月(48歳)・「夜想交叉路」で小説家デビュー。第90回文学界新人賞ノミネート。
・関西テレビ「FNNスーパーニュースアンカー」に出演。
2002年4月(50歳)・「有限会社独立総合研究所」を設立。代表取締役社長兼主任研究員に就任。
・主に安全保障、危機管理、外交、政治を専門分野とする。
2006年12月(54歳)・内閣総理大臣の任命により、原子力委員会・専門委員に就任。
2007年1月(54歳)・海上保安庁/公式政策アドバイザーに就任。
・近畿大学経済学部・国際経済学科の客員教授に就任。
2012年1月(59歳)・「ザ・ボイス そこまで言うか!」ラジオコメンテーター(レギュラー)として出演。
2016年4月(63歳)・東京大学教養学部/学生自主ゼミ非常勤講師。
・独立総合研究所 社長職退任。
・第24回参議院議員通常選挙へ自民党公認・比例区で出馬し、「当選」。
2022年7月(68歳)・第26回参議院議員通常選挙へ自民党公認・比例区で出馬し、「当選」。
青山繁晴さん 経歴一覧

青山繁晴さんの新聞記者時代のエピソード

青山繁晴さんは、共同通信社時代のエピソードを自身のブログで紹介することがあります。

今回はその中から、青山繁晴さんの真面目さがわかるエピソードをご紹介します。

総理官邸記者クラブにいて総理番記者だったとき、先輩記者が

「俺が田中(角栄)総理の総理番だったとき、総理が番小屋(田中総理の私邸で共同・時事の両通信社の総理番記者が総理が就寝されるまで詰めている狭い建物)に

下駄履きでやって来て、カネをくれたもんだよ。お前もそれぐらい総理に食い込め」と仰ったのです。

ぼくは憤激して、「それはただの汚いカネ、記者が絶対に受け取ってはいけないおカネではないですか。

それを自慢話にするなんて、信じがたいことです」と抗弁しました。

青山繁晴の道すがらエッセイより

テレビや動画・メディアで話す印象やブログの文章などから、真面目で堅物な印象の青山繁晴さんですが、筋金入りで真面目な性格だと感じさせるエピソードですね。

青山繁晴さんの献金&パーティゼロ、完全無派閥のエピソード

青山繁晴ちゃんねる ぼくらの国会より

本当に大きな重い責任を感じています。

6年前に初めて当選したときもそうでありましたが、

正直、今のほうが重いです。さらにそのうえで…一期六年間…

献金受け取らずパーティー開かず支持団体作らず派閥に属さず後援会作らず

後援会長も置かず地元も作らず…。

という私からすれば新しいやり方を、新しい国会議員像というのを試みまして。

2022参院選当選後 記者会見より

青山繁晴さんは、1回目の当選(2016年4月)から話されていたことを続けているようですね。

当時、当選直後のインタビューでもそう話されていたのを覚えています。

青山繁晴さんは、故・安倍総理に頼まれて何度も断られていたそうです。

根負けする感じで議員立候補を決めるも「但し、派閥には入りません。自民党を変えなければいけないと安倍総理に伝えた」そう話していました。

ラジオでもそう話されていました。

結果は見事当選。今は、二期目に突入されています。

青山繁晴さんは、「日本の尊厳と国益を護る会(護る会)」代表

議員当選後の活動として派閥には入っていませんが、同じ考えを持つ仲間ができます。

その仲間達と立ち上げたのが「日本の国益と尊厳を護る会(通称:護る会)」です。

徐々に賛同する議員が増え、令和5年6月22日現在では87名(衆・参合計)になっています。

「日本の尊厳と国益を護る会」の主な取り組みは以下です。

中韓による国土浸食の阻止

父系一系による皇位の安定継承

スパイ防止法の制定などを軸に政権を動かす

青山繁晴さんは、2年連続自由民主党党員獲得数1位!

自民党ホームページより

青山繁晴さんは、令和3年度(2021年度)と令和4年度(2022年度)の自由民主党党員獲得数1位になっています。

因みに、いずれの年も2位は堀内詔子元五輪相(山梨2区)。堀内詔子さんは令和2年度(2020年度)は1位を獲得されていました。

3年連続でトップクラスなんて堀内詔子さんも凄いですね。

トップ10には、二階俊博さん、茂木敏充さん、細野豪志さんなどベテラン勢がずらり。

若手議員が自民党党員獲得数の1位を飾ることは異例だといってもいいかもしれませんね。

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