2024年8月にデビュー40周年を迎え、約25年振りの活動再開となる爆風スランプ。
彼らの名曲のなかでも一番インパクトが強かったのは「RUNNER」(ランナー)です。
応援歌として今でも多くのメディアで使用されていますね。
実はこの曲ができる背景には大切な仲間との別れがあったことをご存じの方は少ないのでは?
今回は名曲「RUNNER」(ランナー)ができた背景を調査してみました。
爆風スランプ「RUNNER」(ランナー)の歌詞の意味とは。仲間との別れと応援歌!
爆風スランプ「RUNNER」(ランナー)誕生するまでは?
爆風スランプは、1982年4月結成。
当時は過激なライブパフォーマンスが多くて有名でした。
・客席に向け消化器を放射
・頭にのせた綿に火を付けて燃やす
・スイカなど果物を投げつける
・間奏時に火の着いた花火や、履いていた靴を口にくわえる
・畳を投げつけて、その上で曲を歌い続ける
そのほか、歌詞には放送禁止用語や過激な歌詞を使用するなど、とにかくやりたい放題。
東京大学の学園祭で教室の机や椅子を破壊したことは伝説となっています。
テレビの歌番組でも、火を使うパフォーマンスを行って消防署から注意を受けたり、ほかの出演者のセットを壊したりと無茶苦茶でした。
熱狂的なファンがいたことも事実ですが、なかなか全国的に知名度は上がりませんでした。
とにかく、令和の現代ではメディアに出してもらえないようなバンドでした。
そんな爆風スランプにある転機が訪れます。
爆風スランプ「RUNNER」(ランナー)誕生のきっかけ
1986年。バンドとして泣かず飛ばずの爆風スランプの4人は新田一郎というプロデューサーを迎え、所属事務所を移籍。
しかし、新田プロデューサーは「まずは売れること」を目的とした楽曲提供・活動を求めます。
当然といえば当然のことですが、これに反発したのがベースの江川ほーじん氏でした。
結局、折り合いがつかずに江川ほーじん氏は退団することに。
自分達のもとから去って行く江川ほーじん氏に向けて、
ファンキー末吉さんが作った曲にサンプラザ中野さんが歌詞をあてたのが「RUNNER」(ランナー)でした。
1988年に発売後、34万枚の売上げてロングヒットに。その年のNHK紅白歌合戦にも出場となります。
爆風スランプ「RUNNER」(ランナー)の歌詞の意味
雨を避けたロッカールームで 君は少しうつむいて もう戻れはしないだろうといったね
瞳の中 風を宿した 悲しいほど 誠実な 君に何を いえばよかったのだろう
かげりのない少年の 季節はすぎさってく 風はいつも強くふいてる
走る走る俺たち 流れる汗もそのままに いつかたどりついたら 君にうちあけられるだろ
グラウンドに忍び込んで 芝生の上寝転んで 星の数をかぞえて眠ったあの頃
かかえきれぬ重いを胸に 君は軽くほほえんで 振り返らずこの部屋を 出て行くのか
飾りのない少年の心は切りさかれて 夢はいつも遠くみえてた
走る走る俺たち 流れる汗もそのままに いつかたどり着いたら 君にうちあけられるだろ
たとえ今は小さく 弱い太陽だとしても 言葉もない俺たち ひどく暑かった日の夕だち
RUNNER歌詞より
「RUNNER」(ランナー)ができた背景を知ると泣けてきます。
サンプラザ中野さんが、江川ほーじんさんに向けて書いた詩であることがよく分かります。
走る走る~♪に目が行きがちな歌詞ですが、
本当に大切な仲間との別れを表現していることがよく分かりますね。
曲の意味を理解して聞くと違う味わいがあります。
爆風スランプ「RUNNER」(ランナー)は皆の応援歌
今や、「RUNNER」(ランナー)は頑張る人の応援歌としていたるところで使われます。
・プロ野球選手の応援歌
・高校野球の入場行進曲や、定番の応援曲
・メディアの頑張る人を応援する曲
応援歌という枠組みを超えて、CMソングにも数多くしようされました。
・日立ビデオ「MASTACS」CMソング
・カゴメ「かけるトマト」CMソング
・Y!mobile「なめ猫バンド ホコ天ライブ」CMソングなど
まとめ
今回は、デビュー40周年を迎える爆風スランプの「RUNNER」(ランナー)について調査をおこないました。
名曲ができる過程はいろいろあるとは思いますが、仲間が去って行くタイミングで出来あがるというのは切ないですね。
しかも、それが自分達の代表曲となるのだから人生どうなるかわからないものです。
これかも「RUNNER」(ランナー)を聞くたびにこんな背景があったことを思い出していただけたら嬉しいです。