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フランス版ミシュランでアジア人初のミシュランシェフとして世界に名前をとどろかせる小林圭さん。
現在もフランス1区に出店しています。
アジア人初の三つ星シェフなんて凄すぎるね!
今回は小林圭さんの
について整理しました。
小林圭のwikiプロフィール
名前 | 小林圭(こばやし けい) |
生年月日 | 1977年8月29日 |
年齢(2024年9月現在) | 47歳 |
出身地 | 長野県諏訪市 |
国籍 | 日本 |
家族 | 妻(知加子)、子(10歳位?) |
学歴 | 長野県諏訪市の小学校、中学校を卒業 |
小林圭さんは、両親が料理人の家庭に次男として生まれ育つ。
幼少期は気が強くて、少年野球に打ち込むなど「一本気の性格」だったそうです。
両親の影響はもちろんですが、15歳の時にテレビで見た
フランス料理シェフ「アラン・シャベル」さんの姿に一目惚れをして、フランス料理の道へ。
「一本気な性格」がここでも発揮され、料理人になると決めてからは努力を惜しまなかったそうです。
小林圭の妻(嫁)について
小林圭さんは結婚をされています。
名前:小林知加子(こばやしちかこ)
年齢:小林圭さんと同年代だと45~47歳くらい
子供:1人(10歳)
元・パティシエールで「レストラン・ケイ」でサービスや総務まであらゆることをこなしているようです。
小林圭さんのinstagramに、お正月に撮影された画像がありました。
帰国して奥様とゆっくり過ごされていたようです。
さりげなく、2人分の食事を撮影。仲の良さがうかがえますね。
先日の事件に日本中から心配する声が沢山でています。
まずはゆっくり静養して、
元気になった時には、2人のにこやかな笑顔と共に公表される日があると嬉しいですね。
小林圭の学歴
小林圭さんの学歴について調査しました。
今や世界の小林圭さんですが、学生の頃はどうだったのでしょう。
小学校
長野県諏訪市出身の小林圭さん。
地元の小学校を卒業されていると考えられます。
諏訪市内の小学校は全部で6校。
①諏訪市立上諏訪小学校
②諏訪市立城南小学校
③諏訪市立豊田小学校
④諏訪市立四賀小学校
⑤諏訪市立中州小学校
⑥諏訪市立湖南小学校
いずれかの小学校を卒業されたでしょう。
中学校
地元の中学校を卒業されていると思われます。
諏訪市内の中学校は全部で4校。
①諏訪市立上諏訪中学校
②諏訪市立諏訪中学校
③諏訪市立諏訪南中学校
④諏訪市立諏訪西中学校
いずれかの中学校を卒業されたでしょう。
高等学校
小林圭さんは、高等学校を中退しているそうです。
当時、長野県には県立・市立だけで約100校。
「料理の世界へ進むことを決めている10代の学生が入学」するなら
近くて便利な高校になるでしょう。
長野県諏訪市内にある高等学校は3つ。
①長野県諏訪清陵高等学校
②長野県諏訪二葉高等学校
③長野県諏訪実業高校
以上のどれかになると考えられますね。
専門学校
プロの料理人を目指す以上は、調理師免許がいる時代。
小林圭さんはどこの調理師専門学校を卒業したのか調査してみました。
松本調理師製菓師を卒業?
小林圭さんは、専門学校卒業後に「長野県茅野市内のホテル → 東京のフランス料理店」と勤務。
茅野市のホテル勤務を経験していることから、地元・長野県の専門学校を卒業している可能性高いですね。
長野県には調理専門学校が2校あります。
①長野調理製菓専門学校
②松本調理師製菓師専門学校
理由①
理由① 地元から一番近い。
小林圭さんの地元、諏訪市から電車で通学できるのはやはり大きなメリットですね。
交通費も片道590円。往復1,180円。
地元・上諏訪駅から北松本駅まで40分程度。
やはり毎日通学することを考えると近いことが大切ですね。
理由②
理由② 就職先に茅野市内のホテルがある。
殆どの調理師専門学校はそうですが、松本調理師製菓師専門学校も就職先に有名ホテルがあります。
卒業と同時に就職できるサポートが整っています。
理由③
理由③ クチコミも良い
確認したところ、松本調理師製菓師専門学校の評判は在校生&卒業生含めて良かったです。
製菓についてとてもいいことが学べ、実習、座学、課外授業全てが楽しく、とても充実した学校生活になると思います。製菓技能士や調理師免許を取りたいと思ってる人は入って得になるはずです。
在校生コメント
松本では割と有名な方で、実際に就職するにあたってのサポートは高めだった。
卒業生コメント
学科によって様々な免許を取得することができるため調理系に進みたい人はとてもおすすめだと思う。一流のお店にも働くことができるため希望のところがあるよなら行きやすいと思う。
卒業生コメント
今では建物が大きいという訳ではありませんか設備もよく環境がとても整っており充実していると思います。
卒業生コメント
以上のことから、小林圭さんは松本調理師製菓師専門学校を卒業したと考えます。
小林圭の経歴
小林圭さんは専門学校を卒業後、プロの料理人の世界へ足を踏み入れます。
2020年に、本場フランス版のミュシュラン三つ星シェフになるまで
どのような道をたどったのかまとめてみました。
料理人生のスタート
小林圭さんは茅野市のホテル「東急ハーヴェストクラブ蓼科リゾート」の総料理長へ直談判し、
料理人人生をスタートさせます。
料理長に、「友達と縁を切る。彼女をつくらない。スキーをしない。ファストフードは食べない。通学をやめる。この条件をのめるか三日考えてから来い」と言われた。
翌日、「そうします」と電話をしたところ、
「人生の一大事を一日で決められるのか。もう二日間考えろ」と叱られ、三日目に同じ返事をして採用された。
https://www.tjapan.jp/food/17704745?page=1
料理人になりたい!という情熱が凄かったんでしょうね。
10代の若者に料理長も押し切られたような印象を受けます。
「料理長には社会人として必要なことを厳しく教えてもらった。
4年間で一生分怒られました。それが自分の血肉になっています。
三ツ星をいただけたのは、今まで関わってくださったすべての方々のおかげです」
https://www.tjapan.jp/food/17704745?page=1
やはり、大きなことを成し遂げられる人物は「感謝」の気持ちを大切にしているんですね。
その後、東京のフランス料理店で経験を積むも、本場で学びたい気持ちを抑えきれず、
1998年 21歳で単身フランスへ渡っています。
アラン・デュカス氏の元で7年働く
その後、南仏やアルザス地方の星付レストランで修行し、
世界的シェフアラン・デュカス氏の元で7年間働きます。
2007年以降は、レストランの要(かなめ)・スーシェフとして活躍。
「アラン・デュカス」での日々は、フランスの最高級ガストロノミー料理をしっかり学べるまたとない機会でした。
3つ星レストランで失敗は許されません。お客様の目も肥えています。
最高級の食材を揃え、完璧な料理に仕上げてお出しするのが絶対条件です。
あそこでは調理の技術の他に、食材の見極める目を養いました。
そして生産者とのつきあい方、厨房を料理人たちをいかにオーガナイズするかといった、料理以外のシェフとして必要なことも学ぶことが出来ました」
パリに「Restaurant KEI」をオープン
2011年 パリに念願の「Restaurant KEI」をオープン。
2012年 フランス版ミシュラン一つ星を獲得。
2020年 フランス版ミシュラン三つ星を、アジア人シェフとしては初めて獲得!
圭さんは毎年4月と8月に、妻の知加子さんと6歳の息子の家族3人で帰省するのが恒例。
昨年8月に帰省した際には、「日本人には難しいかもしれないが、(三つ星を)取りたいと思っている」と話していたという。
信州・市民新聞より
情熱を持ち続け、努力を怠(おこた)らないということの大切さを体現してくれています。
小林圭のSNSアカウント
小林圭さんのSNSアカウントについて調査しました。
世界で活躍する小林圭さんが発信する内容は非常に注目です。
小林圭さんは、instagramを利用されています。
自身の料理はもちろん、食材を確認しているところやイベント、
店舗改装にいたるまで幅広く情報を発信。
見ているだけで空腹になるくらい素晴らしい料理の数々です。
x(twitter)
x(twitter)では「小林圭」の名前ではアカウントは確認できませんでした。
ひょっとしたらニックネームでアカウントを作成していたり、
アカウントそのものをもっていない可能性もありますね。
facebookでは「小林圭」の名前ではアカウントは確認できませんでした。
同性同名の「小林圭」さんは複数いらっしゃいましたが、
ご本人とおぼしきアカウントは確認ができませんでした。
今回は小林圭さんのwikiプロフィールについて調査を行ないました。
世界で活躍し続ける日本人シェフ。
同じ日本人として、嬉しく思いますね。
小林圭さんに関する情報が確認でき次第、追記したいと思います。
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